大野和士 音楽監督として初のブリュッセル・フィルハーモニックを指揮
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大野和士が10月1日(土)、2日(日)にベルギー・ブリュッセルのフラジェで行われたブリュッセル・フィルハーモニックの定期演奏会に出演。
マーラーの交響曲第5番をメインとしたプログラムで大成功を収めました。
ここに新聞等に掲載された公演批評の一部を紹介いたします。
≪ラ・リブレ・ベルジーク紙≫ 'La Libre Belgique' 2022年10月4日
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1曲のみ、休憩なし―ブリュッセル・フィルハーモニックのマチネ・シリーズのコンセプトはシンプルで明快だ。だが日曜日の公演は特別な雰囲気が漂っていた。なぜなら大野和士がステファヌ・ドゥネーヴの後を継いで同シリーズに音楽監督として初めて登場したからだ。この喜ばしい機会に選ばれた作品は皆にとって象徴的な交響曲-マーラーの5番だった。
ブリュッセルの聴衆は大野がオペラ指揮者だけではないことを知っている。王立モネ劇場の日曜夜のコンサートで同劇場管弦楽団をしばしば指揮していたからだ。今回の演奏会ではそのことを思い起こさせた。ミュージシャンには真面目な面持ちで、聴衆には微笑みながら―大野はスタジオ4のステージに到着するや否やオーケストラを起動させた。冒頭のトランペットのソロが響き、濃密な時間が始まった。打楽器(5名)とホルン(7名)が活躍するが、かの有名な緩徐楽章ではハープを含む弦楽器群が突如としてその存在感を露わにする。
大野にはわざとらしさやこれみよがしな表現というものがない。スケルツォでは取り立てて耳障りな音をたてたりしないし、アダージェットはただただシンプルで美しい。ロンド・フィナーレは力強いが、決して熱狂の渦に陥るような事はない。音楽的能力、誠実さ、そして謙虚さが彼の美徳であり本質だ。誰が文句を言うだろうか。12月10日にはフラジェでモーツァルトとハイドンのプログラムが、次の日曜日(9日)にはボザールでマスネ『エロデイァード』とシュトラウス『サロメ』の抜粋とプロコフィエフ:交響曲第5番の公演が予定されている。
≪レ・ムジカ紙≫ 'Res Musica' 2022年10月5日
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大野和士のブリュッセル・フィル音楽監督就任記念公演
先週の土曜日、大野和士が音楽監督として初めてブリュッセル・フィルハーモニックを指揮、モーツァルトとマーラーの作品よる興味深いプログラムを披露した。
VRT(オランダ語放送局)のオーケストラを前身とするブリュッセル・フィルが設立されて15年。現在同フィルはフラジェを本拠地とし、コンサートや録音を通じてその設立からほどなくして国際的な評価を確固たるものとした。大野和士は2021年1月に客演、オーケストラの特性と響きに魅了され、音楽監督のポストを引き受けた。これはある意味大野のルーツへの帰還だ。なぜなら今から20年前、大野はモネ劇場で6シーズン音楽監督をつとめたからだ。その後大野はリヨン国立歌劇場で同種のポストにつき、我々もよく知る成功をおさめてきた。
このコンサートの白眉はマーラーの交響曲第5番だろう。比較的小編成の弦楽器群はその見事なアンサンブル、献身、規律といった点において秀でていた。ここでは均一性、豊かさ、全員が共有する信念といったものによる小さな調和が独自性よりも尊重されている。首席ソロ奏者のザンデンに率いられたホルンや首席トランペットのホールナールトも特筆に値する。
しかしなんといっても暗譜で心を込め、説得力を持って指揮をした大野和士の静かで抒情的な解釈は賞賛に値する。冒頭の2つの嵐のような大音響では、マエストロはほとんど表現主義的ともいえるやり方で響きをつくりつつ、最も破壊的な第2楽章でも全体の統一性と見通しの良さを保った。第3楽章は輝かしさと強烈なノスタルジー、従順さと気性の激しさといったコントラストを表しつつ、ほとんどロマンチックともいえる魅力を帯びていた。大野は作品における重要な瞬間を皮肉や不気味さによって正しく色付けし、より生々しく、恨めしい音を引き出していた。アダージェットは一貫したテンポで演奏され、過剰な表現はなく、極端に濃密な表現といったものとは無縁であった。
大野の優れた指揮はその正確さや数々のフガートでのアーティキュレーションの明瞭さ、あるいは考え抜かれたムードやテンポの変化など素晴らしいの一言に尽きる。つまり大野とオーケストラのマリアージュ(結婚)は最高の環境のもとで発表された。オーケストラと指揮者は高い視座と正確な心理解釈、そして全身全霊を込めた優れた演奏により、聴衆のスタンディングオベーションも相まって輝かしい成功を収めた。
大野和士の今後のさらなる活躍にご期待下さい。